Go living in UJITAWARA?うじたわらいく

うじたわLIKEなひとびと

勝谷 健士 さん

2009年にサラリーマンから茶農家に転身。
生まれも育ちも宇治田原町、生粋のうじたわらっこな勝谷さん。現在は、母や妻、ときどきアルバイトを雇いながら茶業に勤しむ。2016年、2018年と「かぶせ茶」で農林水産大臣賞を受賞。

ちょっとのことで
違った表情のお茶ができる。
新たな発見と出会う毎日です。
茶業を始めたきっかけは?

10年以上前に父親の定年退職のタイミングで、離農する方から茶畑を譲り受けたのが、茶業を始めたきっかけです。当時は、サラリーマンをしていたので、空いた時間を使って、手伝いをしている感覚で茶業をしていました。年数を重ねるごとに、面積も広くなっていって、関わる時間も多くなっていって、だんだん手伝いという感覚は消えていきましたね。半分サラリーマンで半分茶農家。でも、当時はまだそれだけでご飯が食べていけるほどの面積には達していなかったんです。
僕が本格的に茶農家になったのは、35歳のとき。転職を迫られて、別の会社に再就職するか、迷いに迷いましたね。会社に勤めれば安定した給料はもらえるけど、時間的な束縛ができてしまうので、お茶をすることは難しい。今まで愛情込めて栽培してきた茶畑を捨てることはやっぱりできなくて、本格的に茶業をやっていこうと決めました。

勝谷 健士 さん
サラリーマン時代と変わったところは?

誰かのためではなく自分のために働いているという心境の変化が大きいですね。
あとは、時間に縛られなかっり、やりたいことがやりたいときにできるようになったり、環境の変化もありました。

茶農家になって苦労したことは?

今までと違って、お金に関しては、頑張った分しか入ってこなくなるので、安定感はありませんでした。はじめは、十分な収入が確保できるほどの茶園の面積はないけど、時間はあるので、アルバイトに行ったり、誰かの手伝いをしながら、お金のやりくりをしていました。茶農家になって、1、2年で「専業でやるならもっと面積がないとあかんやろ」と声をかけていただいたり、離農するから面倒見てくれないかと声をかけていただいたりで、栽培面積は倍以上になりました。
道具を持っていないところからのスタートだったので、道具をそろえていくのも大変でした。道具をそろえた後は、ノウハウ。何をどういうふうにすれば良いものが作れるようになるのか、近所の茶農家さんや父親の同級生の有名な茶農家さんから教えてもらいました。
はじめは、刈った後の茶葉の加工は丸投げで工場にお願いしていたのですが、途中から共同工場の一員として受け入れてもらって、最後まで自分で責任を持って作れるようになったんです。そこから納得できるものが作れるようになってより楽しくなりました。茶畑の様子を見て、手入れするタイミングを調節したり、刈った茶葉に合わせて加工を少しずつ変えたり、感覚的な部分をつかむのは本当に苦労しましたし、今もどうしたら良いものができるか考えない時はないですね。

勝谷 健士 さん勝谷 健士 さん
将来に思い描くことは?

個人としては、かぶせ茶で農林水産大臣賞をとっているので、煎茶や玉露、甜茶など他の茶種でも賞が取れるようにチャレンジしていきたいなと考えています。
農林水産大臣賞というのは個人の賞になるんですけど、産地賞といって上位3名の合計点が1番高い地域が選ばれる賞があるんです。高齢化が進んで、茶農家の絶対数は減っていく中ではありますが、産地賞が取れるように、宇治田原町から出品する人が増えるようになってほしいですね。

勝谷 健士 さん